これは、ガーナでちょっとした不便さがある生活を経験して、初めて私自身も意識するようになったことなのですが、なんてことない当たり前の生活も、様々な人の努力や働きによって成り立っているということです。
きっと、今、日本でも多くの人が、それを実感しているのではないかと思います。
生活必需品を作る人たちは、テレワークができず、私たちに物資を供給するために、稼働してくれています。
その物を売る小売店の人たちも、様々な人に触れる確率が高い中で、店を開け、店頭に立ってくれています。
物流会社の人たちが働いてくれるからこそ、物流が止まらず、私たちは家にいながらでも買い物をすることができます。
そして、一番感染リスクが高い中で、最前線で仕事をしてくれる医療関係者の人たちがいてくれるからこそ、命が救われています。
それぞれがそれぞれの役目を果たすことで、社会が成り立っているのです。
自粛のちょっとの不便さは、こうした人たちに感謝する良い機会かもしれません。
今は、人との距離を保ち、接触を断つなど、人との繋がりの断絶が推奨される異常な非人道的な状況になってしまいました。
そんな中でも、自らの危険をかえりみず、社会のために立ち上がる人たちが多くいることに、この社会への希望と人間の素晴らしさを感じます。
イギリスでは、公的医療サービスを支えるボランティアを募集したところ、1日経たないうちに政府の目標としていた25万人を大きく超える、40万5000人の応募があったそうです。
ボランティアは、高齢者や持病のある人など家から出ないよう指示されている人たちのために生活必需品の買い物に行ったり、薬を届けたりするということです。
ニューヨークでも、引退した元医師や元看護師が市長の呼びかけに応じ、1日約1000人が交代で感染者の治療に努めているそうです。