2015年1月7日、シャルリー・エブド襲撃事件で12人が亡くなったわずか4日後に、ナイジェリアでボコ・ハラムに強制された少女の自爆テロにより23人が亡くなった。
パリでは同じ頃、犠牲者追悼のために、欧州主要国を中心とする40人超の各国首脳が参加し行進が行われた。
一方で、このナイジェリアで起きた事件について割かれた報道時間はどのくらいだっただろう?ナイジェリアの報道機関が襲われたとして、同じように首脳が集まり追悼式が開催されただろうか?
友人がフェイスブックにアップしてくれたKaruna Ezara Parikhさんという方がインスタグラムにアップしたという詩が心に響き、適切に私の気持ちを表現してくれていたので、日本語訳をつけさせていただき、シェアさせていただきます。
私たちが祈るべきなのは、パリへではない。この世界へだ。
この世界ーそれはパリの2日前に爆発に揺れたが、メディアに取り上げられなかったベイルートのあるこの世界であり、白人が銃火で命を落としていないため、誰もステイタスを”バクダット”とはアップデートしないが、葬式で爆弾が鳴り響くバクダットである。
唯一の荷物を背負って、何ヶ月も国々を歩いて渡る人々が、あなたの居場所はないと言われる、世界のために祈ろう。
そう、パリのために祈りを捧げよう。しかし、それに留まらず、更なる祈りを。
祈りさえなくしたこの世界へ。身を守る家さえなくした人々がいるこの世界へ。単に、砕け散った見慣れたタワーやカフェではなく、隅々までバラバラになりつつあるこの世界へ。