先日、久しぶりに、高校時代の友人に会った。
もう10年ぶりぐらいだろうか。
ずっと会っていなかったのだけれど、私を街で見かけたとフェイスブックを通じて連絡してきてくれ、仕事帰りに飲もうという運びになった。
仕事に追われ、月の半分は出張で自宅で眠ることはなく、翌日の仕事に差し障るからと、友人との付き合いも控える、そんな生活が何年も続き、このままじゃいけないと、部署移動願いを出し、部署が変わり、最近、ようやく、自分の時間が持てるようになったという。
昔の状況だったら、私を見かけても、声をかけなかったと、彼女は、言った。
声をかけても、会う時間なんて作れなかったからと。
他の友人とも疎遠になっていたらしい。
一本気で真っ直ぐな彼女らしいなと思った。
私も、翌日に差し障らないよう予定を控えて仕事をする気持ち、よくわかる。
今では、遠い昔のことだけれど、そんな時期もあった。
新卒で、日本の銀行で働いていたときのことだ。
サザエさん症候群どころか、夜は、時間が気になって、時が進むごとに、朝が近づくと思うと憂鬱になったものだ。
原因不明の頭痛に悩まされ、CTも撮ったことがある。
家でヌクヌクと過ごす愛犬を見て、「犬になりたい」と言い出し、
しまいには、動かなくてもいい「貝になりたい」と言いだした(笑)
友人曰く、私の口ぶりから、ガンになったときよりも、当時のほうがヤバイと心配したという(笑)
「体に悪いから、そんな仕事もうやめなさいよ」と言う親をよそに、「レジュメに書ける結果を出すまでは、やめられない」と続けた。
だから、電通の新入社員の女の子が過労により自殺したニュースには、当時の自分が重なるように思えた。私は、舵を切り替えることができたけれど、その辛さ、苦しさは、わかる。
何か歯車が少し違って、ほんの一瞬の何かのきっかけで、違った結果になっただろうに。
24歳なんて、まだまだ色んなことができたのに。楽しいこともいっぱいあるよ。
でも、きっと、ギリギリで、彼女と同じ道を辿らなかった日本人は、たくさんいるだろう。
たくさんいるって、実は、異様なことだけど。
ガーナ人だったら、この話を聞いても、
意味わからん
と、理解できない人が大半だろう。
だって、
そんなに嫌なら、やめればいいじゃん
言い出せないなら、
行かなきゃいいじゃん
で、終わってしまうからだ。
そんなわけにはいかないよ
って、日本人は思ってしまうけれど、
人間(動物)としては、「行かなきゃいいじゃん」が健全なのだ。
忙しさは、余裕を奪い、人を追い詰め、心を蝕んでしまう。
その度合いは、必ずしも、時間(残業、労働時間)で測れるものではない。
久しぶりに、彼女と話しながら、
こうやって、昔の友達とお酒を飲みながら語り合えるなんて、幸せだなぁと思った。
喉元過ぎれば熱さ忘れるっていうけれど、私も、すっかり日本の生活に慣れて忘れかけていたけれど、
お互い、元気だからこそ、生きているからこそ、できるんだよね。
「あのままの生活を続けなくて、気づいてよかった」と、彼女は言った。
そうして、お互い、「仕事」の話をしながら、まさにこういうことなんだよなと思った。
JUJUBODYのスキンケアは、化学物質を使っていないので、気温に左右されて、固くなったり、柔らかくなったりする。
例えば、モリンガオイルは、冬、結晶化してしまったり、寒い部屋に置いておくと、瓶を温めなくてはならなくなることもあって、ちょっと面倒だ。
でも、この手間にかかる時間って、実は、数十秒。
ガーナだと、突然の停電で家事が中断されてしまったり、待ち合わせで、数時間も待ちぼうけすることがあるので、数十秒なんて、手間とも感じない時間だ。
その数十秒ですら、面倒臭いと感じてしまう日本の忙しい生活のなかで、大切な体(自分や家族の)にかける愛情こそ、「豊かさ」だと思う。
心が豊かでないと、貧しいと、幸せを感じられない。
だから、なんのために生きているのかわからないと、命を絶ってしまう不幸なことが起きてしまうのだ。
日本では、時々、難しく感じてしまうけれど、
本来、生きているだけで、人間は、幸せなのだ。
日々、目まぐるしく過ごしていると、子供が泣いていれば、イライラもするかもしれない。
それも、当然。
でも、そんなときに、JUJUBODYのシアバターを塗ってあげながら、ふと思い出して欲しい。
そんなスキンシップがとれるということは、そんな時間が持てるということは、当たり前ではないんだと。
お互いの存在があるからこそ、生きているからこそできる、とても幸せなことなんだと。