ビジネスパートナーのカールのお父さんが亡くなりました。
先日、彼のプロフィール写真が変わったなと、ふとよく見たら、お父さんの写真になっていることに気がつきました。
術後の経過がよくないという話を聞いていたので、すぐに、亡くなったのだとわかりました。
連絡をしたら、「何でわかったんだ?どこから聞いた?」と驚いていましたが、ジャーナリストでテレビの看板番組を持っていたこともある彼のお父さんは、ガーナでは有名人で、ニュースや新聞でも訃報が流れたそうです。
彼の妹もニュースキャスターなので、とにかく交友関係が広く、次々と見事に絶え間なくやってくる弔問客の対応に、1週間追われたと言います。
ようやく仕事を再開できるようにはなったけれども、唯一の男児である彼が、葬儀の手配も取り仕切るため、手一杯だそうです。
ケタのチーフの家系出身なので、ロイヤルファミリーは、出身地に埋葬するのが伝統だそうです。
アクラで葬儀を行った後、ケタに埋葬し戻ってくる、3日間のお葬式で、少なくとも、800人以上が参列する予定だといいます。
「立場を利用して上手く立ち回って、本当なら私服を肥やしてから退職する人が多いのに、うちの親父ときたら、そういう才能がないから、すっからかんだよ」
と、毒づきながら、そういうお父さんを彼が心の底では尊敬していたことを思い出します。
70代後半になっても明晰で、毎日、新聞を保管する、ガーナ人とは思えないような几帳面さを持ち合わせた人でもありました。
子供の頃には、本をたくさん読まされたといいますが、彼の英語力が非常に優れているのは、間違いなく、その賜物だと思います。
私が挨拶する間もなく診断のために日本に戻り、半年後に術後ガーナを訪れ挨拶した際には、「祈っていたんだよ。君は、家族みたいなものだから」と言ってくれたことも思い出しました。
でもそれ以来、いつも時間に追われて、テマに行くには交通渋滞もひどいからと尻込みして、顔を出しに行かなかったことを悔やみます。
私の顔を見たら、ただ、それだけで喜んでくれたろうに。
ジャーナリストだったお父さんは、ガーナ独立期の激動の政情や、アフリカ諸国の内情にも詳しく、宝のような生きた情報をたくさん持っていた人でした。
ゆっくり話すこともありませんでした。
もっと、たくさん話を聞いておけば良かった。
また今度があるかなんてわからないこと、胸に留めていきたいと思います。