最近、何かのイベントに行っても、自分より若い人が多く、自分を若いと感じることが少なくなった。
そういえば、よく、昔、大人に、
「いいね〜、若くて。何にでもなれるね」
言われて、
何がそんなに良いんだろう??
と思ったものだが、
最近、そういう人の気持ちがわかるようになってきた(笑)
でも、若さの特権って何だろう。
そんな私でも、
いや〜、私、若いな〜
と、思わせてくれるのが、
東京医科歯科大学の顎顔面外科腫瘍外来の待合室だ。
ここには、杖をついたお年寄りばかり。
予約制でも、待つことが多いので、苛立っている人も多いが、私は、この日はあとにスケジュールを詰めないことにしているので、のんびりと、待ち時間には、ついウトウトしてしまう。
先生たちは、お昼を食べる暇もないんじゃないかと思う。
当初、三週間毎だったものが、1年後に、1ヶ月毎になり、
術後2年が経過したので、今回、晴れてめでたく2ヶ月毎になった。
もう、診断結果を聞くときに、昔のような緊張感はない。
「2年経つと、頸部リンパ節への転移がぐっと低くなるけど、5年間は治ったと言えないから、5 年間は通ってね」
と、先生は、アフリカからの診断書と紹介状を持ってきた珍患者に釘を刺す。
よほど、インパクトがあったようで、
「アフリカ行くの?行かないほうがいいよ、まだ」と、これまでにも何度か言われたので、私がふらっと行ってしまい、経過観察を疎かにしないか心配しているようだ。
他のガンよりも、舌癌は、経過観察の頻度が格段に多い。
おそらく、働きざかりの男性だったら、この時間を惜しんで、通わなくなるのだと思う。
日々の忙しさを優先して。
自分で事業を始めたことは、自分で仕事のコントロールもできるから良かったと思う。
順調に、経過観察の頻度も伸びて、「私、まだまだ若いな〜」と久しぶりに思えたところで、
まだまだ、色々できるな
と思った。
ああ、そうか、こういうことか。
若さの特権って、こういう感覚なのかもしれない。
将来にリミットがない感じ。
何か新しいことを始められるような自由な感じ。
だんだんと、人は、自分の限界を自分で設定してしまい、新しいことに挑戦できなくなってしまう。
それが、「老い」なのだと思う。
やったことないし、できないし、と。
これまで自分に起きたことや、自分が見てきたことから、こうなるだろうという予測のもと、不可能に思えたり、経験が邪魔をしてしまうのだ。
若いと、もちろん、初めてのこと、新しいことばかりが目の前にあるから、「できない」というリミットを先に設定しないで済む。
もちろん、家族や地位を得れば、だんだんと「責任」も増え、無責任なことはできないと、挑戦を躊躇うかもしれない。
それは、正しいことかもしれないし、もしかすると、ただ「口実」に使っているのかもしれない。
「年を重ねる」ということは、これまでの経験から、より可能性が増え、さらに自由になっていくことだと思う。
日本では、サブカルチャーは、高校生など若者が作り出すもの、自由は無責任でいられる若いうちの、若さの特権だと思われている節がある。
欧米では、逆に、若いときには、両親が子供のために様々なルールを決め、大学に進学すると同時に、「責任」と同時に自由に暮らせるようになる。
そうして、自立するほどに、どんどん自由になっていく。
年を取りたくないという女性も多いけれど、もし、後者ならば、年を取るのも悪くない。
老いるのは嫌だけど。
綺麗に年を重ねようではありませんか。