無事、出張を終え、日本に戻り、現在、隔離施設に滞在しています。
ガーナは、3日間の強制隔離の対象になっていたので、帰国後は、そのまま施設への移動となりました。
17時到着で、施設への移動が始まったのが深夜12時過ぎ。
午前到着便などだと福岡など地方に行くケースがあるという話を聞いていたのですが、幸い、成田空港近くのホテルで、ホテルに入ったのが深夜1時、部屋に着いたのが1時半という、入国から8時間半後でした。
今、飛行機には入国する国によって何時間前というのは変わりますが、まず陰性証明がないと乗れず、入国時にも検査をして陰性ではないと入国できません。
必要書類や健康状態の報告なども国ごとに異なり、きちんと準備できているか、元気で何の問題もなくとも検査結果を見るまでは気がきではありません。
出国はスムーズで、ガーナの入国も1時間半程度でしたが、何しろ、日本への入国、入国後の自主隔離もあるので、今回は、背に腹を変えられない現地に行かないとならない事情があったので行きましたが、次回は、日本への入国が簡素化されてからにしたいなと思います。
さて、今回の出張の目的は、大きく3つでした。
ポールの後継者の弟チャールズに会い、農園運営に変わりがないか確認すること。
もう一つは、欠品が続いている石鹸の製造、入荷です。
そして、自社モリンガ農園の現状確認でした。
これまで、モリンガの食品に関しては、私が現地に行かなくてもできるフローが出来上がっていましたが、それはポールあってのこと。
日本とは異なり、蓋を開けてみたら、「あれ?全然違う品質のものが送られてきているんですけど」なんてこともあり得ます。
彼なしに、同じオペレーションが行われるか、次回の発注前に直接目で見て確認したかったのです。
ちょうど埋葬を終えたご自宅にも伺いました。
ガーナでは、お葬式の準備に2,3ヶ月かかることがありま喪中ではあり、とにかく盛大にお葬式を行います。
お葬式は、食事が振る舞われ、ダンスをしたり、悲しみに一段落をつけるような意味合いもあるように感じます。
一応、 ディレクターにはポールの奥さんが就任するそうですが、実際の現場での指揮は弟さんがとっていくようになるようです。
それぞれの過程にこれまでと同じ現場の責任者がいて、きちんと組織が家族のようにまとまっていて、問題なさそうだなと思えたので、ホッとしました。
むしろ、チームのみんなはポールの意志を引き継ぎ、アグロフォレストリーのオーガニック栽培を普及させること、モリンガの栽培には現在8000人の近隣の農民が携わっていますが、それを5万人に増やしたいという意欲に溢れていました。
アクラからも9時間ぐらいかかる場所で、途中、悪路にかなり揺られましたが、行った甲斐がありました。
ずっとロディオ・ドライブ状態で、何だか痩せた気がしたのですが、体重計がなく測れないのが残念です。
恐らく、この隔離で全く運動できないので、また逆戻りしてしまったかもしれません(笑)